私は最後の男に向井康二を選択した。
唐突に始まりましたけど私のジャニオタとは名ばかりの人生を歩んでいたのではないかと、2018年思い知らされています。今現在もなお。
・私のジャニオタ(仮)の歴史
私がジャニーズと出会ったのは嵐が巻き起こすまさに嵐が吹き荒れ始めた頃のことでした。
花より男子は今では考えられないほどブームを巻き起こし、私がちょうど小学3年生の頃花より男子リターンズが始まり、女の子だけでなく男の子も見ているようそんな世界でした。
嵐を知らなきゃついていけない。友達も翔くんが好きだと言っている。初めてジャニーズに触れたのはそんな理由でした。
それも次第に習い事が忙しくなりMonsterが発売頃には完全に追いかけることが難しくなっていつの間にか担当を作ることなく自然消滅していきました。
次に出会ったのが関ジャニ∞。元々その頃の私は動画を見ることにハマっていました。そこから「レコメン」という私にとってはお化けラジオ番組に出会って横山さんの取り留めもないのに面白い話とそれを時には煽って時には聞き流して、絶妙なそれにハマっていきました。
そこから主軸は関ジャニ∞になっていって、eighterの道を着々と歩んでいきました。初のFCも初のジャニーズライブも全部関ジャニ∞に捧げました。高校生になって、嵐ファンの子に出会っても、Japonismに参戦しても揺るがなかった私の心が掛け持ちへと走り出させたのは相葉さんでした。
この画像に出会った私は衝動が抑えられなくなり、相葉さんへとハマっていくことになりました。それても比重は関ジャニ∞の方が多い毎日を過ごしていました。
・私がジャニーズを追うものとしてのポリシー
私がジャニーズを追いかけ始めた時自分に課したルールは
- 雑誌、ジャニショによる公式写真は無駄に買わないこと。
- 自分のお金で名義を増やさないこと
- 多ステしないこと(これには様々な意見があるかも……)
- Jrに手を出さない
最後の台詞には今では自分でも笑ってしまいますが、あの時の私は本気で思っていました。私は年下の方が多くなるであろうこの界隈には足を踏み入れるものかと、私はそこまでじゃないと本気で思っていました。
・関西ジャニーズJrとの出会い
大きくは渋谷すばるの退所も含んでいます。生活のほぼ全てが関ジャニ∞のようなところがあった私には元気を出そうにも関ジャニ∞というカードが使えないのだから、気持ちが沈む毎日でした。
なんとか別の方法で浮上しようと久しぶりにみっちーの美しい可愛い顔がみたいなと「みっちー」で検索をかけると予測に「みっちー ドッキリ」と。そこで見たのがスタ誕のドッキリでした。
しかし、これは出会い程度に終わり関ジャニ∞7人の最後を楽しもうと元の場所へ戻りつつありました。
次に舞い戻ったのはGWの辺り。祖父を亡くして気持ちが滅入っていた時ジャニーズWESTの藤井流星くんの天然を見て笑おうと「流星」で検索をかけ、大西流星くんと出会うのです。
そもそもeighterな私は関ジュのことが全くの無知だった訳ではありません。顔はそれなりに知っていたので番組を追っかけるのも苦じゃありませんでした。
私が調べたそこに平野くん永瀬くんがいた事も私の興味を誘った原因だったかもしれません。(ティアラじゃないです)
私はお話がうまい人が基本的に好きですし、きっとS気味な人が好き。よく笑う人で、スタイルのいい人が好きなので、室くんにハマるんだろうなと思いながら見始めました。
案の定室龍太に大ハマりでしたが、Jrには年齢の壁がありそれが間近ということを知り、期限付きの恋でも楽しもうと思っていました。
・最後の男 向井康二
こんな私も縁があって今年の夏の松竹座に向かうことが出来ました。しかも良いお席で見させていただいて、セリフを間近に受けることが出来たんです。(この話はまた別の記事に)
これで運命の出会いをしていたとは知らずに過ごしていた中で
なにわ男子結成
応援していたはずの大ちゃんも恭平も入ってるのに拭えぬ虚無感。ここで私にとっては向井康二という人間がこんなに心の中の大きな部分を占めていた事に気づかされました。
他の担当さんにいくら現実を突きつけられても未来をポジティブに考えても何か覚悟を求められてるような気がして虚しくて悲しくて。
ここで私は今までずっとこういうことから目を逸らしてきたのだと気づいたのです。関ジャニ∞からも逃げて、何かを失った悲しみを逃げることで補って、でも今回は逃げられなかった。
本当に大切なものに出会えたような気がしています。この人のためなら何をやってもいいなと思えてます。どこまでも追いかけていたいなと。
悪いところも良いところも全部見て一緒にここまで来れたねと素晴らしい景色を見たいなと。それを望んでいるのなら望むだけ見たいなと