麹菌と呼ばれても

色んな変遷を経て向井康二を最後の男に決めたオタの話

事務所と新体制について私が思うこと。

 

私は、この騒動が起きてからというもの、エージェント制のような業務形態にすればいいのではと思っていた。
それは、CM企業がタレント個人と契約できる関係を模索したい。と言い始めたからだった。
もちろん、企業側の苦肉の策ではあるし、タレント自身に罪は無いと考えた前提である。(これは少なくとも見て見ぬふりをしたのでは?という罪を考えない場合という意味である)
私がタレントと直接契約にと考えていた理由はなにも企業がそう言ってきたからだけではない。ひとつに、今後事務所が今回の件に関して全ての補償を終え、事務所を解体した後、再契約を望む企業が出てきた場合である。
今のファン心理で言えば、もう二度と契約してほしくないと思う企業もあるだろう。しかし、事務所がどう思うかは別である。再契約時、如何なる理由があるにせよ、再契約を断る可能性もあるなと思っていた。その場合、またよからぬ「力」が働いているのではないかと勘ぐられるのは、新体制としても良くないのでは?と危惧していたからである。
再契約を望む場合もそうだ。再契約するように新体制になってもけしかけたのでは?と推し量られても仕方ない。
これを少しでも軽減するのが、私はタレント本人が契約に関して介入することなのでは?と思った。もちろん、今回の一件で多かれ少なかれ傷つきプレッシャーを感じているタレント達に更にプレッシャーを与えるのか?という気持ちも無くはないが、タレントも仕事をしているからには責任が伴う。
これからずっと自分たちの仕事に誇りを持っていくなら尚更だ。相手がどんな企業で、どんな思いで、どんな風に自分を使おうとしているか、自分の目で確かめながら進みたいという人達であってほしいと、私はファンとひとりとして願う。
やりたくないなら、やらなくていいし、やりたいなら挑戦できる。タレント達本人の気持ちで仕事ができているとなれば、再契約時の無粋な詮索は少しは落ち着くのでは?と考える。
もちろん、積み重ねてきたものが積み重ねてきたものだけに、新体制をとっても、どうせ新体制側の人間が口を挟んでいるだろうと思われるかもしれないが、そんな中でもどうか、タレント達に話をさせ、契約させ、考えさせる新体制であってほしい。
それが積み重なれば、その事実は少しずつ広がって、いつしかそれが当たり前になるのではないかと思う。

もちろん、タレント達全員に自分で掴みたい仕事を上手くこなせる人間ばかりじゃないとは思うし、今まで通りにいかないことも増えると思う。
今まで通りにいかないと感じる中のひとつに、グループとしての活動目標がある。エージェント契約でタレント本人の意思を反映した活動ができるとするなら、グループではどうか。
自分に求められることと、グループに求められることはいつも乖離しているなと感じている。紆余曲折を経て、グループこそ自分たちの進む道、となるグループもいれば、決裂し分解を選ぶグループもある。
エージェント契約は、そのグループとしての意識を維持することを更に難しくしないだろうかと思う。
個人に割り振られていた仕事も、グループの活動を鑑みたり、この子にはこういうキャラ付けをとか、そういう仕事をと今まではマネジメントしてきたと思う。それが個人の意思を尊重した時、グループでの自分の立ち回りだけならまだしも、スケジュールや進み方、イメージをタレント達で考えなければならないとなると、グループである事に煩わしさを感じる人も出始めるのでは?と感じる。
今まではそれでも事務所の人間であること、という、今は得体の知れない感情と揶揄されるような、目に見えない統一した意識のようなものが引っ張っていたであろうものが、消えてしまうのでは?と心配する気持ちになる。
杞憂であってほしいとは思うが、その気持ちが芽生えやすくはなるかなと思う。こうなれば、事務所であっても新体制であっても、そこにいる意味なんてなくなってしまうのだから。

また、横のつながりや縦の繋がりも希薄になりやしないかとも思う。今年のカウコンがあるかどうかは別にして、今後そういった催しをするにも、エージェント契約している全てのタレントに同意を得る必要がある。そこで、「あっ、別の仕事あるんで」や「俺その時期は休みたいわ」とか、そういうのも別になんら問題なしいあってしかるべき、とするということだ。

我々は、ファンだからこそ、今と変わらぬ1年間のスケジュールを望んでしまう。だから、今述べたグループで居続けてくれるのかとか、変わらず家族意識を持ってくれるのかとかいう気持ちは、ファンのエゴなのかもしれない。

Jrに関して、エージェントがどこまで反映されるか分からないけど、今後Travis Japanのようなレーベルからデビューさせたいとオファーされる形でデビューが決まるなんてこと......あったりしないかなぁ......と楽観的な話を、この先も暗いと思うので、ひとつ落としておこうと思う。

 

ファンのエゴだと言ったが、それは名前を変えないでほしいと望むファン心理や、事務所が如何に悪くないかを発信し続けるファン心理に通ずると思う。
外野から見れば、頭のおかしな人間に見えるのかもしれないが私はそこまでその人たちのことを突き放すことはできない。では、自分が同じように発信したいかといえばそうではないし、名称変更にだって、特段の気持ちがある訳ではない。
先から言っているように、業務形態が変わることに不安はあれど、抵抗感が酷くはない。では、名称変更を拒む心理は何か。それは今まで通りの彼らが失われるのでは?という不安感だと思う。

誰かを応援したいつまりは推したいとする時、人は様々な理由が必要だと思う。この世には推したいもので溢れてる。その中で、事務所のオタクはこの事務所じゃなきゃいけない何かを感じているのだと思う。
同じような歌って踊ってのグループが多くある中で、この事務所は特殊だった。10月2日放送のまつもtoなかいの中で中島健人が事務所のことを「奇跡を求める」と表現した。私は言い得て妙だと思った。事務所は彼らにほんの少しだけ届きそうで届かない試練を用意し、それに自分なりに挑み、過程でどれだけ失敗しようが本番で成功すればそれはスターだと。そしてその方法で何人ものスターを生み出してきた。

長くオタクをしているとこの表現が凄くわかる。我々ファンの前に現れる彼らは初めは何だこの子?という拙さで、でもその拙さが常に本番の毎日で研ぎ澄まされ、いつの間にか立派なセンターが生まれている瞬間を何度も経験したからだ。
それこそが我々ファンの共通認識の「ジャニーズ」なのだ。どこの誰は、その意味が伝わらないのか伝わっていても尚、という事のなのか分からないが、少なくともファンの言うそれは、ただの事務所名などではないのだ。

この名前を消してしまえば、自分たちが目にしたこんな奇跡が、全員で積み重ねてきた奇跡が消えてしまう気がするのだ。もう二度とあの感動を味わえないんじゃないかとさえ思ってしまうのだ。

また、では何故この不安や憤りを言葉にするのかだが、事務所のオタクをしていると、多くの人がオタクであることに自信と誇りを持ってるように思う。そもそも、オタクなんていうものは誇るもんでもなかったものが、我が物顔で歩くようになった。それは、誰かを応援するいわゆる推すという行為が、タレントを抱える芸能事務所やレーベルだけでなく、様々な場所に派生し、金脈だということに世間が気づいたことにある。
その中でも事務所のオタクは数が多く、熱狂的なものから茶の間ベースのものまで含めると近くに1人はいるだろう状況だ。
それが、ファンを勘違いさせていたかもしれない。自分たちは重宝される存在だと。その誤解が、発信に繋がっているのだ。

これは完全なるファンのエゴで、応援の本質を履き違えていると思う。もちろん、今回の事務所の不祥事が無条件で他者を、ここでいうファンやタレントを不必要に傷つけていい理由にはならないし、発言一つ一つが誰かを傷つけることを誰も理解できていないから傷つけあっていると思う。

どうして名前を変えなければならないのかを正しく説明できず、どうして名前にこだわるかを説明できない時に衝突しているなと感じるし、そこばかりで争い合うからこそ、互いに折り合いをつけられないままなんだろうなと思ってしまう。

これは、時間が解決するかは分からないけど、今までオタク同士で好きを傷つけあってきた歴史を見るに、これは今回の一件が全て片付いたとしても遺恨は残すだろうなと思う。

 

最後に話したいのは「育成」についてである。ここでの育成はJr、特に未成年に対しての育成だと思う。私は長年事務所のタレントを応援してきた。もちろんJrを経ることなくオタクを続ける人辞める人がいると思う。
アイランド社が出来た辺りでJrの価値はある意味で向上した。テレビの中でJrを目にする機会が増え、また先程から話にある「推す」ということをまさに実感できるのがJrの応援だ。
デビュー出来るか否か。そのハラハラ感をこれ以上な味わうことができるだろか。それに先程言った彼ら「らしさ」も存分に味わうことが出来る。拙い時から眺め続け成長していくまさにその過程を、だ。

そうなればファンにとってJrという組織はとても尊いものであり、全てのタレントがその時期を経ているという事もあって、失うはまた、名前を失うと同等に耐え難いものだろうと思う。

会見の中で、まだ未成年の少年を育成しようと考えているのか?それは今回の一件を容認することではないか?と質問があった。
この質問の意図を量りかねるが、私なりに正しく解釈しようとすると「未成年の育成を今後と続けると言うならば、もう二度とこのようなことが起こらないよう、具体的な対策は現時点で考えてらっしゃいますか?」となる。というか、私ならそう質問する。

先代社長が亡くなった時、私たちファンは今まで通り「らしさ」の中でタレントが生まれるか、とても不安になった事を覚えている。今は罪に目をつぶったとして考えてほしいが、カリスマ的なトップがいたとして、そのトップがいなくなっても、同じように事業が成り立つようにする。これが事務所が続いていくために考えなければならないことだと思った。

そのひとつとして、私が解釈していたのがタレントが無料の社食である。先代社長は子どもがお腹を空かせていることにとても気を配っていたと、タレントたちの発言からも読み取れる。しかしながら、その社長が亡くなればそこに気を配る人がいなくなるかもしれない。その想いが、タレントへの無料の社食として、反映されたのではないかなと、勝手に繋げている。

これがそんな意味はなくとも、こんな風に代変わりしたとしても、続けられるような仕組みを作ることが大切だと思う。

育成するなとはいはない。これは事務所の根底に関わることだし、そこに奇しくもらしさが詰まっているからだ。現に今いるJr達を立派に送り出したいという気持ちのことを井ノ原副社長は「育成」という言葉に込めたのだと思う。

井ノ原副社長が決して子どもたちに手を出さないとか、そういうことではない。私もそんなことはないと信じている。それでも、結局のところ信じるしかないのと、絶対はこの世にないとしても、そうなりにくい仕組みや組織にすることが出来るか。
そこを問われているのだと思う。

もう未成年を囲うな!と吐き捨てることは、やはり出来ないが、どんな人が代表になろうとも、監視を続けられる仕組みを作ること、これが出来てやっと「育成」を許されるのだと思う。

 

散々話してきたが、この考えに至るまで、私自身もたくさん傷ついた。私がなぜ傷つくのかと思うが、初めにも話した通り「好き」を傷つけられたからです。こんなに傷つけられたのは康二くんの加入云々依頼ですね笑 ファンからすればこれからファミクラどうなるの?とかカウコンは?とか、色々ありますが、今はタレントと新体制に期待を寄せて待つしかないなと思っています。

 

私は彼らの起こす奇跡が大好きだし、それは他のどの場所でも感じることの無い幸福に繋がっているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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