麹菌と呼ばれても

色んな変遷を経て向井康二を最後の男に決めたオタの話

ジャニーズ事務所について考えてみた。

 

めちゃくそに重そうな題名で話が始まるんですけど、我が家でとんでもない議論になったのでちょっと考えをまとめていきたいかなと。

 

私はそろそろ人生の半分をジャニーズに費やそうというところです。そんな娘を内包する我が家ではジャニーズはすぐ側にあるエンタメコンテンツです。

 

私がジャニーズにおいては雑食であること、また我が家全体がテレビ好きということもあって、私含め母、弟がジャニーズグループに関してはそれなりの知識があるといった感じ。

 

そんな我が家での今回の議題がまさに今回のようなことでした。

 

私自身、推しグループでここ数年脱退を経験したり自粛を経験したり、活動休止を発表したりと、事務所内で起こりうる全てを経験したんじゃないかってくらいだったのですが、そこからの議論なのです。

 

 

私はもちろん我が家の中で1番ジャニーズ事務所よりの思想ですし、今がベストでなければならないという気負いでいるのですが、母はどちらかといえば前社長時のイメージが強いタイプですし、ジャニーズに拘っているわけではないのでジャニーズを辞めても扱いを変えることはないという思想。

弟は他のエンタメコンテンツも追いかけているということもあってそちら側の思想も盛り込んでの考え方

 

こんな3種3様の考え方で少し、今のジャニーズがはたして……という所を考えたいと思い至りました。

 

 

まず、今までのジャニーズは表に出るほどのスキャンダルを全て内側で抑えていたなという印象があります。(母はこのイメージが強く今の何でもかんでも外に出る状況は事務所自体の力が弱まったからだと思っています)

 

私自身、この方法は正しかったかどうかは判断がつき兼ねると思っています。まず、前体質では黒がグレーになることと白がグレーになることが同時にあったと考えています。

 

実際に事が起こっていたとしても、露呈せず画面を通して知られることは無い。同時に嘘であってもコメントはせず「何も言っていないのだから事実ではないのだろう」と思ってもらう。

 

結局は「これは嘘だ」と言うことも「これは真実です」ということも許されていなかったのだと思う。

 

これが圧力だと言うのならそうなのかもしれないが、これが前体質に置いての事務所内のタレントを守る術だったんだと思う。これは前社長が度々コメントしてはいるが「いい子じゃなかった子なんかいない」に繋がるもので、誰しも失敗はするし、調子に乗ることはあれどそれが、今のご時世の如く決して許されないというところまで来るものなのか?というそんな気持ちがあったのかもしれない。

 

でも、今の世の中それは、はたしてベストなのだろうかとも考えられる。

 

ほんの少し前まではテレビ業界、または雑誌を出版する出版社に圧力をかければ良かったのかもしれない。圧力でなくともテレビ業界、出版業界に貢献していれば失いたくないと思う向こう側が忖度してくれたのかもしれない。

 

比較的、週刊誌に載ってもテレビでは取り上げられないという形で済んでいたものも今はSNSというものがある以上一旦載せてしまったもの、載せられてしまったものは日本国中を駆け回るようになってしまったなと。

 

暴く側の人間がその辺、至る所にいる。またその人達は明確な謝罪やある程度の社会的制裁が果たされるまではそのままにしておいてはくれない。

 

この世の中で、前体質のままだとSNS上では新たに「結局は全ては圧力」と守るはずの術だったものが悪として取り扱われることになるのではないかと。

 

もちろん、あまたに芸能事務所は存在してはいるけれどこれだけ色んな事をやるタレントを抱えている事務所はそう多くないと思う。ただ俳優をしているだけなら、曲を売り出しているだけなら「自粛」などの言葉を使わずに、当分の活動を見送ればいいのかもしれないが、日頃から画面に出ている以上はそれは難しい。今は社会的制裁、体裁を考えて、形だけでもいいからその姿を示す以外にない。

 

 

でも、今のやり方もベストなのだろうかと思う。結局は前体質も今も、極端なやり方なのかなと。

 

今は謝罪する姿勢をみせる。という形だが、今度は黒は黒として謝罪し、グレーも黒にしてはいないかと、多少ある白の部分も有耶無耶にする事で事を収めようとしていないかと。

 

これがベストなのかどうかは常に考え続ければならないし、私も現時点で最良だとは思っていない。

 

謝ることは簡単だけれども、真実ではない部分はハッキリ言う、たとえそれに世間が真実だと思わず、意味がないとしても、謝る何かを認めるなら間違いを大きな声で言ってもいいのではないかとは感じる。

 

 

 

散々圧力と書いてきたので、辞めた人間がテレビに出られるかという所にも話が至ったのだけれど、そこにも3人で解釈の違いがあって……笑

 

圧力が存在し、それで出られないのはおかしいと思う母と、需要がないのかどうかという部分は判断できないのではないかという弟。私はもし圧力が存在していたとしても、今まではただそれで守られる存在だっただけであり、外に出れば例外なくかけられる側になるのは仕方のないことだと考えてます。

 

ここ最近「社長が変わり以前と変わった」と発言するファンは多いけれど、前体質と変わらない部分は外に対するアクションだと思う。

 

さっきも言った通り前体質では黒や白をグレーにする力があった。この力こそ外に出たことによってかけられる力なのではないかなと思う。

 

私はこの事務所内でそれなりの地位を築いた人間だからこそ、外に出たとしても何かしらの能力を持って活動することは出来ると思っているので、必ずしも需要が損なわれたとは思わない

 

けれど、もし扱う側が元の事務所のタレントと天秤にかけた時にそれをも上回る需要やパワーを生み出せるのかという所は考えると思うし、話してほしいのは下世話な事なのに、肩透かしを食らうくらいなら使う必要ないと考えているのかもしれない。

 

事務所にいるだけで平等に愛される理由の一つとして家族のような繋がりを感じる部分があるからだと思う。それはジャニーさんがいた頃もいなくなってからも変わらずにいてほしいと願うし、その為にはタレント全員が、普段の活動でのキャラクター性や活動に対する方向性が違えど、ジャニーズだからこそを胸に持ち続ける必要があると感じる。

 

変わったか変わっていないかでいえば変わっていっているのだと思う。それは今のご時世に順応するために、よりジャニーズを強固なものにする為になのかもしれないが、その変わりゆく体制を「変わってしまうのが嫌だから」ではなく「どう変わるのが正しいのか」という目線で見続けるのは大切。

 

変わらないことは歩みを止めることであり、それはただジャニーズが今よりもっと取り残されていくことに違いないと私自身は考える。

 

 

最後に、私はジャニーズというコンテンツに魅せられた1人である。デビューしているいないに関わらず、彼らにしかできないことは沢山あると思っているし、とんでもない成長曲線が見られるのもジャニーズならではだと思っている。これからも変わらぬステージを見たいと願うし、根底を変えず成長していくには彼らの思いとファンの目以外にないと考えている。

 

 

 

私の、完全とは言えないこのブログを読んで、皆さんはどう考えますか?変わっていくのをただ変わらないでと言うだけでいいですか?少し考えてみてそこは違うんじゃないかと声を上げますか?そこに感情的な気持ちはありませんか?これを機に離れてみることも考えてもいいのかもしれない。いちファンに過ぎないけれど、みんな願いは推しの笑顔を見続けたい。これじゃないのかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

〜完〜